ZF41 Series               Page 3



■G41との組合せ−"ZF40"


 番号の順番からZF41系照準鏡は"ZF40"の名称で最初に制式採用されたように思えるため、「最初期のスコープは当初『ZF40』と刻印されたが、後に改修された」とする文献(*1)があり、一般的にそのように認識されているようだが、これは完全な誤りである。これについては、後に詳述する。
 いずれにしても、ZF40について述べた現存する当時の文献資料は少ないことから詳細は不明であり、確実に言えるのはZF40が自動装填銃 Gewehr41との組合せで用いられるということを意図された、ということぐらいである。

 ZF41系の経緯については既に前項で少し述べたが、その開発はGewehr41の開発よりもやや先行しており先に完成形となっているようである。さらにもう少し想像を加えてみると、当時、産業界主導の研究により、低倍率小型の光学照準器を小銃に標準装備するというアイディアがあったのではないだろうか。
 Gewehr41についてはメタルサイトの替わりに光学照準器を標準装備するという試みがあったようである。実際に、Gewehr41(M)のプロトタイプで、タンジェント式リアサイトの替わりにZF40を固定式で搭載したものの写真が存在している(*2)。
 勿論この案は採用されず、メタルサイトが標準装備となり、ZF40はオプションとして存続することとなったと考えられる。

 Gewehr41(M)については、ZF40との組合せについて記述された当時の文献資料は存在しないようである。
 1941年5月26日付マニュアルD191/1"Gewehr41(M) Beschreibung, Handhabungs und Behandlungsanleitung"でもZF40については触れられていない(*3)。ただ、 ZF40付のGewehr41(M)が現存していたようで、戦後に米軍の試験場で撮影された写真が残っている(*4)。それによれば、Gewehr41(M)のZF40用マウントはK98k-Zf41と類似しており、リアサイトの左側のレールに装着するようになっていた。
 Gewehr41(M)自体の数が少ない(*5)こともあり、このZF40付Gewehr41(M)の生産数は極めて少なかったと考えられる。実戦での使用についても全く不明であるが、ほとんどなかったとみて差し支えなさそうである。

 一方、Gewehr41(W)については、制式採用されて名称が"Gewehr41(W)"から"Gewehr41"へと変更された後のマニュアルD191/1"Gewehr41 Beschreibung, Handhabungs und Behandlung"(1943年2月16日付)においてZF40がアクセサリー類と共に記載されている(*6)。
 ここで注目すべきは日付であって、これはすでにK98k-Zf41が1941年7月14日付通知で制式採用された(*7)かなり後である。つまり、ZF40の制式採用の日付そのものは不明であるものの、実際の運用としては番号と逆にZF41の後追いで、両者は一時期的に、同時期に生産されたということがいえる。

 これまでの調査により、照準鏡本体については、"ZF40*"と"ZF40"の2種類が存在することが判明している。しかしながら、この2タイプが存在することの理由は不明である(以後、両者を総称して"ZF40等"という。)。なお、これらの相違点等は次節で述べることとする。
 いずれについても、オリジナルの状態(当初の刻印のまま)で存在するものは非常に少なく、現存するものはほとんどすべてがZF41あるいはZF41/1に改修されている。それらは、Gewehr41と共に使用されることはなく、K98k-Zf41と共に使用されたと思われる。
 ZF40等の製造については、現在のところメーカーコードcag、cxn、dow、dym、esoの5社(*8)を確認している。いずれも、"40"等の刻印を打消し、替わりに"41"や"41/1"が打刻されているが、この改修方法はそれぞれのメーカーによって異なる。
 
<例>
  ・cag :"40"を切除した面に"41/1"と打刻
  ・cxn :削りつぶしてその右脇に"41"または"41/1"
  ・dow :打消し線、その右脇に"41/1"

 ■図:ZF40のマーキング

 このことから、この改修はそれぞれのメーカーの工場で行われ、ZF40等は当初のまま工場から出荷されることは一度もなかったと考えるべきである。戦場、あるいは軍の兵站部でメーカーごとに消し方を変えたり、あるいはメーカーごとに集積して各工場へ返送するなど、考えられないからである。

 以上より、ZF40等はシリアルナンバーの観察からcag、dowの合計だけで少なくとも数千単位で生産されたものの、それらは戦場に送られることなく工場にストックされ、Gewehr41の製造中止に前後して改修された上で、ZF41またはZF41/1として初めて出荷されたということがいえる。
 さらに、cag、dowにおいては、この改修以後間もなくZF41系照準鏡そのものの製造が中止され、cagは双眼鏡など他の光学機器へ、dowはGwZF4等へ生産の中心をシフトしたことが想像される。

 ZF40等が出荷されなかったことの説明資料は今のところ発見できていないが、Gewehr41の性能不振からGewehr/Karabiner43へ生産が移行され、それに併せてGwZF4が採用されたことに対して、ZF40等の量産が先行しすぎたのは間違いがない。いずれにしても何らかの行き違い、混乱があったことは明白である。



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(*1) 文献C p.93、文献V p.32など
(*2) 文献F pp.302〜303
(*3) 上記 p.301
(*4) 上記 pp.302〜304
(*5) 文献L p.27
(*6) 文献F p.301、pp.310〜312、文献L p.48
(*7) 文献C p.74
(*8) esoについては、「ZF」も含めて全体を切除されているので、推定である。
■参考文献リスト